終了:2014年頃
直近の施設更新: 1955年12月31日
確認: 2024年2月24日
- 2014年6月にひっそり閉店。以下は営業当時の説明を残しています▼。
- 古風だがこぎれいな木造2階だて旅館。大浴場あり。「石川啄木ゆかりの宿」でもある。
- ⇒本郷台地中央部の西のはずれ、言問通りに通じる「新坂」の上に建つ日本旅館。
狭い路地裏みたいなところに玄関があり、間口は広くないし外観も少々くたびれた感じだが、中は意外に(失礼)広くて立派。2階建て木造だが、鯉が泳ぐ中庭をのぞむモダンな玄関ロビーはかなりひろびろしており、おみやげ売店もある。
客室(すべて和室)は全52室(12畳の部屋もある)あるほか、会食場(宴会場)は50畳、30畳、20畳の3つ。むろん大浴場も完備している。
都内ではいまや数少ない「大規模かつ正統派な本格日本旅館」のひとつだといってよいだろう。
この宿を特徴づける最大のキーワードは「石川啄木ゆかりの宿」という点。
明治41年、北海道放浪を経て上京間もない啄木は、まず赤心館という下宿に住んだものの、家賃を滞納して出て行かざるを得なくなった。
このとき、生涯のよき友人でありサポーターであった金田一京助(本人もこの近辺に住んでいた)の世話で、「蓋平館別荘」という下宿屋の3階の三畳半の部屋に移った。
その「蓋平館」がのち改名したものが今の「太栄館」で、昭和29年までは明治時代の建物で営業していたというが、残念ながら火事で消失。したがって現在の建物は昭和30年以後のものだが、そこから数えても50年の歳月がたっているわけで、外観には独特の重みがある。