1991/02 珈琲一杯の値段に「都心過疎化」の兆しを見た

内JR某駅前でのこと。久しぶりにこの周辺でいちばんゆったりした喫茶店"T"に入ったぼくは、折り目正しく物静かで、しかし美人ではないウェイトレス(そういうタイプが揃ってるのがこの店の特徴だ)に手渡されたメニューを見て腰を抜かした。

 ブレンドコーヒー2,300円。

 230円の間違いでない証拠に、2と3の間にきちんと「,」記号が入ってる。
 前からここは、よその店と比べて高かった。去年の暮れには1000円になってて目の玉が飛び出しかかったし、その前、800円になったときもショックだった。たしか数年前は550円ぐらいだったはず。わずか数年で4倍だ。

「これ、何かの冗談ですか?」
 思わず声をあげたぼくに、古風な顔のウェイトレスは、こう答えた。
「大変申し訳ありませんがお客様、諸経費高騰のため、先週からそのお値段に改訂させていただきました。ご事情ご賢察の上、ごゆっくりおくつろぎください」

「経費高騰って、あのね、その一言で納得できる額じゃないでしょ」
「失礼ですがお客様は、1月に国税庁が発表した"全国各地の最高路線価"をご存じですか?」
「何ですかそれは」
「課税の規準となる土地の評価額のことでございます。実際の土地売買の相場より相当低く見積もられていますが、それでも都内では銀座5丁目の路線価が最高で、1平米あたり3350万円と報じられております」
「へー、一坪ざっと1億円か。1平方センチあたり3千円ぐらい......」

「この店の土地も、駅前という立地条件の関係上、坪あたりパトリオット・ミサイル1本分ほどの地価となっております。地代、家賃、人件費も相応にかかります。この時代、駅前の繁華街で、これだけのゆったりとした座席をコーヒー一杯で長時間占有なさるのは、それはそれはぜいたくなことなのでございます」
「はあ......」

「大きな声では申せませんが、わたくし自身、個人的には2300円は少々お高すぎるとは思っております。ひと息入れて10分でお帰りになるようなお客様が激減し、回転率がめっきり悪くなってしまいましたし」
「この値段じゃ、意地でも45分ぐらいは粘りたくなるよな」
「タクシーのように、各席に時間飲物併用制のメーターをつけてはどうか、という話も出ましたが、お客様が落ち着かないだろう、ということで見送られました。鉄道のようにグリーン席を設ける案も出ましたが、むしろ、すべてのお客様を特別待遇でおもてなしするのが当店の方針ということで、この価格となったわけでございます」

「もういい、わかりました。でも、たぶん2度とこの店には来れないな......とにかく、この2300円のアメリカンください」
「お砂糖とミルクは、それぞれ200円となっておりますが」
「いらないよ」

 ひたすら苦い味のコーヒーを、ゆっくり、ちびちびと、なめるようにすすりながら、ぼくは思った。
 そういえばこの駅前周辺も、だいぶ魅力のない場所になってきちゃったな。予備校と銀行と、わけのわからない事務所ばっかり目につくし、裏の飲み屋街も地上げで全滅だし。もうあんまり来たくないな。そう思ってる人、多いんじゃないかな。
 そうそう、よく考えたらぼくの故郷(いなか)の駅なんかは、街はずれにあるもんな。昔の人が街に鉄道通すのをいやがったせいだって聞いたけど、でも東京では全然逆なんだな。

 一等地だった駅前が、一等地であるがゆえに、だんだん「街はずれ」になっていくんだから。

(c)YanaKen as "バニー柳澤" オリジナル掲載誌:集英社「月刊PLAYBOY」1991/2?


<FOLLOW UP> 1991年1月末に書いたもの(たぶん2月発売号に掲載)ですが、まだまだこの時期は「バブル崩壊前夜」の状況だったことが内容からわかりますね。
 直接この話の舞台になっている喫茶店は、新宿やお茶の水にある実在の喫茶店「滝沢」(マスコミ関係の打ち合わせに使われることが多い)がモデルで、本文にある通り、ここのコーヒー代は1990年の暮れに「1000円」の大台に達しました。
 ぼく自身、以前は原稿書きのためによく一人で入って長時間粘ったりしたものですが、この原稿を書いたころはすでにほぼパソコンに移行していたこともあって、さすがに足が遠のいて現在に至っています。


<MORE FOLLOW UP>
 談話室滝沢は、2005年3月いっぱいで諸事情により閉店なのだそうです。
 2000年ぐらいまではけっこうまだ新宿東口の別館とか、打ち合わせに使ってたんだけど、もうそれもホントにおしまいなんですネ。うーむ。
 でも、お茶の水の名曲喫茶「丘」が、「店内改装」と称して閉店して、それっきりゲームセンターになってしまった(古い話ですが)ときのほうが個人的にはショックは大きかったなあ。