1989年3月23日、英国の経済誌「ファイナンシャル・タイムズ」が「試験管内で電気化学的反応により核融合を起こすことに、米国と英国の2科学者が 共同で成功した」と報道、その真偽をめぐる話題が沸騰していたのを受けて書いたコラム。オリジナルは月刊PLAYBOY 1989年7月号掲載、WEB掲載にあたって一部修正。
水沢課長補佐は、水道の蛇口に取り付ける浄水器に似た器具と、なにやら銀色の棒が入った小さな試験管を持ち、
「じつは私、とんでもないモノを入手しまして......」
口角から飛沫(しぶき)をとばして話し始めた。以下要約。
昨夜私が帰宅したところ、妻が「水道局のほうから来た」と称する男から、この器具類を売りつけられていました。男の述べ立てた効用は、次のようでありました。
水道の水がおいしいミネラルウォーターになるうえ、水中に0.015%ふくまれる夢のエネルギー源、賢い主婦の間で話題ふっとうの"常温核融合"用燃料=重水が抽出され、専用タンクに蓄積されます。
この重水は、水割り用の水としても重厚な味が楽しめるほか、別売りの核融合発電機35万円也を併用すれば、わずか1日分の重水で、1か月分の電力をまかなうことも可能です」
結局、妻はその"浄水重水器"3万7千円也を購入し、さらにサービス品として"試験管型核融合ライター"なるものも受けとりました。
私は、えたいの知れないセールスマンの、立て板に水の弁舌に乗せられた妻を叱責しつつ、ともあれその試験管型核融合ライターに"重水"を注入し、付属の乾電池のスイッチを入れましたところ......
「タバコに火がついた、というのか?」
長ったらしい話にヘキエキした清水専務が、話に水をさした。
「いや、それ以上のことが起きました。じつはこの水ぶくれは、そのときできた火傷(ヤケド)です。どうも電圧を長時間かけすぎて、水暴走したらしい」
「あぶねえなあ。しかし、暴走するほど効率のいい常温核融合炉を売り出すとは、一体なにもの......」
速水部長の発言に力を得た水沢課長補佐が報告を続ける。
「今朝さっそく調査したのですが、問題の男はいわゆる"町の発明家"にすぎないようです。新聞報道を見てちょっとマネしてみただけで、できちゃったのだそうで」
「学会でさえウソだマコトだと水かけ論の最中なのに、さっそく商品化するとは大した根性だな」
「ひとのことは言えませんがね」
さざなみのような笑い声が会議室に響いた。
「わが社のポータブル重水抽出/核融合発電システムも、いよいよ来月から生産ラインに乗る。おっと、このことは極秘だぞ。水も漏らさぬ機密保持を心がけてくれたまえ」
社長の一声で、一同、水を打ったように静まり返る。
「それにしても......こだわるようですが、学会の理論的裏付けより商品化が先行している現状は、私にはどうも板子一枚下は地獄、というふうに感じられて」
慎重派の船田専務がつぶやいた。
「現実に、エネルギーが発生しちゃってるんだから仕方ないでしょう。うかうかしてると、こういったハンパな業者が乱立し、粗悪な製品をばらまいて、常温核融合のイメージ全体に水をぶっかけかねない」
急進派の早見部長が反論する。
「ライバル他社も、いま全力をあげて商品化に取り組んでいるはず。通産省・環境庁のお墨付きが出しだいソク発売できる態勢は、絶対に整えておくべきです」
「われわれ家電業界だけではありません。自動車メーカー各社のテストコースでは、もう"核融合車"が湯気をモクモクと噴きがら走り回っている。大手石油会社は、こぞって系列ガソリンスタンドに重水タンクを搬入中......ただのドラム缶ですが」
と、情報通の水口課長。
「電力会社では、ダムから重水を採取して、中東にタンカーで輸出しようという動きもあります。重水の抽出は海水より淡水からのほうが簡単で、日本は淡水の宝庫......というより、最近はダムの作りすぎでだぶつきぎみですから」
「日本が燃料輸出国になるとはなあ」
「そんな状況下で、一瞬たりとも躊躇(ちゅうちょ)したら、われわれはたちまち時代の潮流に取り残されてしまいます」
「わかった、わかった。私の発言は水に流してくれ」
船田専務はあっさり沈没した。
「では本題に入りましょう。お手元の新製品企画書ですが、この核融合エアコンは、運転中に出る排水から重水を取り出して再利用する、究極の省エネエアコンとして......」
*
その夜、速水部長は部下たちをバーに誘った。が、なぜかみな、気乗りがしない様子である。
「なんだ、どうしたんだ。水くさいやつらだな」
すると部下たちは、口を揃えて答えたのだった。
「夜中まで水商売が相手じゃ、気が休まりません」
(c)YanaKen 1989 as no name オリジナル掲載誌:集英社「月刊PLAYBOY」1989/7
「OPENING THIS MONTH: 今月の、(おいしい水)である。」
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未確認ですが、たぶんこれがPLAYBOY巻頭コラム執筆第1回だったんじゃないかと思います。
第1回ではないにしても、とにかく独特の「格調の高さ」をかもし出していた月刊PLAYBOYという媒体の雰囲気にどう溶け込んだらいいのか、まだおそるおそる模索していた時期の所産で、われながら「なんと固い文体」って今読むと思ってしまいます(少し手は加えましたが(^^;)。
題材は、当時にぎやかに報じられていた「常温核融合」。その後、マスコミ的には否定的見解が主流となって沈静化してしまいました。ただ、今も継続して研究している機関などもあり、完全に「ありえない」という結論が出た段階でもないようです。