──────● 上野7丁目(上野駅東側際)
- 上野駅前の歩行者デッキに出て左側一帯。駅から最も近い一角とあって昔から「駅前旅館」の系譜を引くようなビジネスホテルが多数立地。
- 駅沿いの並木道、交通量の多い昭和通り、その中間の路地......と、3本の道があるが、特に、右の写真の「新銀行東京」と「プロミス」の看板のビルの間の裏通りに玄関を構える宿が多い。
- 昭和通沿い側はバイクのパーツや中古バイクの販売・買取の店が密集する通称「バイク街」。約80店がひしめいているそうで、バイク好きでなくても一見の価値がある。
●上野バイク街の旧地名は、その名も「上車坂」「下車坂」江戸時代、上野6丁目あたりの旧町名は「下谷車坂町(したや・くるまざかちょう)」。明治期(左図)にはこの地名の領域が拡大し、昭和40年に現町名になるまで現東上野3丁目あたりが「車坂町」、上野7丁目付近が「車坂上町」「車坂下町」となっていた。 命名の起源である「車坂」は現在のJR上野駅公園口付近、上野の山から東南に下る短い坂で、ふもとの町が車坂町と呼ばれたもの。その時点では自然ななりゆきだったといえそうだが、明治時代に上野駅が開業して以降は坂とその名を冠した町名が地理的に分断され、 「平坦な低地で坂道はまったくないのに車坂」 というちょっと不思議な際立つ結果となっている。 語源の元祖「車坂」は、上野駅公園口から線路に沿って南下する坂道の名として現役。一方、町名としての「車坂」は消滅してしまったものの、各地元町会名、および6丁目から東上野2丁目方面に抜ける「車坂通り」などに残っており、「ローソン車坂通り店」といった店名もみられる。 なお、寅さんこと「車寅次郎」が生まれたのはこの「車坂通り」のあたり、という設定になっているそうだ。 |