35年ほど前に開業した施設です。

旧・第一ホテル アネックス / Dai-ichi Hotel Annex (N/A)

樋口一葉生家前にそびえ、煉瓦造りの高架線路を見渡すシティホテル。2022年2月閉店
 終了:2022年頃   建物落成: 1989年   創業: 1989年   確認: 2022年3月 5日 
  • この施設は2021年度中(正確には2022年2月12日)までで閉店となりました。
  • 跡地ビルは改装ののち「メルキュール東京日比谷」として2023年12月から営業開始となりました。
    • 最寄駅は新橋、および都営三田線内幸町。港区新橋1丁目に所在する第一ホテル東京の別館。行政上は千代田区と港区にまたがっているものの、フィットネスクラブのあるビルを間にはさむかたちで隣接している。
    • 4階以上が客室。2007年全客室リニューアル。ベッド・マットレスにサータ(SERTA)社製品を導入、テンピュール社の低反発枕で[快眠]を追求。
    • [トレインビュー]浜松町・新橋方面からホテルの前を通って有楽町・東京駅まで、非常に広範囲にわたってJRの高架線が見通せそうな位置。「新幹線が見える部屋」確約のトレインビュープランあり。
    • 「第一ホテル東京」地下駐車場を利用可能、74台(1泊1500円)
    • 「第一ホテル東京」と共通の施設として、隣の「新幸橋ビル」地下1階フィットネスクラブに20mプールがある。18歳未満不可
    • ラ・パランツァ[B1]イタリアン(ホテルと同日に閉店)
第一ホテル アネックス全景 第一ホテル東京(本館)前の道から見た「第一ホテル アネックス」。道をはさんでJRに面しており、右側の黒い影は煉瓦造りのJRの高架線。正式名称「新永間(※注)市街線高架橋」と呼ばれる明治43年落成の構築物で、かなり古色蒼然としていてもまだまだ健在、居酒屋が入居したり倉庫として使われていたりする。
 写真奥の鉄塔のある建物は東京電力本社。

 下の写真はホテルより少し北、東電ビルの横から有楽町方面を眺めたところ。緑色のネットは、撮影当時行われていた耐震補強工事の関連だろう。
 なお、この明治からの煉瓦造りのアーチ橋は在来線用で、新幹線の線路はその東側に寄り添う1960年代にできたコンクリート橋に乗っかっている。
実はこのガードの奥のほう、その新幹線の高架下には以前「西銀座JRセンター」と呼ばれる通路(商店街?)があり、かなり古びて寂れた感じでちょっと入りづらい雰囲気ながら、雨の日には濡れずに有楽町方面に向かうことができた。
 2020年にはJR東日本側の高架下と統合されて、ディープでヒストリカルな雰囲気を活かしたアーケード「日比谷グルメゾン」「日比谷OKUROJI」等に生まれ変わっている。

※「新永間」は、芝区銭座町(港区浜松町付近)と麹町区楽町(千代田区丸の内)の間、という意味の略称。どちらも現在使われない地名なので耳慣れない響きがある。
東電本社付近のJR高架線。正式名称「新永間市街線高架橋」
  • 「第一ホテル アネックス」のすぐ裏手は「区立内幸町ホール」のある小公園。その北側の道端に「樋口一葉生誕地」の表示パネルが設置されている。
     本郷菊坂(アパートと井戸が残っている)や吉原近く(記念館になっている)の旧居が知られている樋口一葉だが、その父親・樋口則義は当時明治政府の役人。樋口一葉が生まれた当時(明治5年3月25日)はこの付近にあった「東京府庁の構内長屋」に住んでいたという。今風にいうなら「職住接近の官舎住まい」だった、ということのようだ。
     ここは幕末には大和郡山藩の上屋敷があった場所で、おそらく「長屋」というのはその藩士の宿泊用に建っていたものを公務員用に流用した建物、といったことではないかと思われる。
     現在のこのあたりには当時の様子を直接想起させるものは何もない。
     ちなみに「第一ホテル アネックス」の位置は、その元・大名屋敷前にひろがっていた空地だった場所。
撮影:2011/11
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