漫画研究会幹事長(部長)となり、大家に無理を言ってボロ下宿に電話を入れる。
KKベストセラーズ・新書「おならのブルース」(共著・早稲田大学漫画研究会)、ワニの豆本「いたずら魔」(共著・冒険グループ名義)の執筆を体験。
4月から学校のほうは「演劇専攻」に進む。同級には女優の高瀬春奈さんがいた。
夏、バイト収入も安定してきたところで、東京都中野区内で別のアパート(妙正寺川のそば)に転居。家賃は2万円だったと思う。ここの家主は2軒先に済む庄幸司郎さんという方(故人)で、本業は庄建設という会社の社長だったが、文化人としての活動も活発で、映画のプロデュースなどもなさったらしい。
死去された際には新聞にでかでかと記事が載って、「そんなに有名な人だったのか」と、あとから驚くことになった。
6月ごろ、「おならのブルース」の反響の一つとして学習研究社「中学1年コース」の仕事が舞い込む。