ツービート「わっ毒ガスだ!」などのヒットで"タレント面白本"の先鞭をつけた出版社・KKベストセラーズが、その延長で「東京六大学の漫画研究会に面白ジョーク本を書かせる」という企画を立案、第1弾として早稲田大学漫画研究会に話が持ち込まれた。
面白そうだし、毎年発行している同人誌(「早稲田漫」)の費用の足しになれば……というわけで手分けして文章原稿やイラスト、カットを執筆。が、完成直前、この本のタイトルを「おならのタンゴ」にしたい、という編集部(というか社長)の意向をめぐって議論発生。これは結局、
「"おなら"は譲歩するから、せめて"タンゴ"は"ブルース"にかえてほしい」
……ということで決着したが、漫研側として満足のゆく展開とはいえなかった。
当の出版社は「このタイトルと表紙(ダサダサ)で絶対売れる」という確信があったようで、初版の出荷直後に早くも増刷が始まったが、結果的には大量の返本の山。
このため「六大学の漫研本を次々出す」企画そのものが尻すぼみとなり、少し遅れて慶大漫研の本が「豆本」サイズで出版されるにとどまった。(「おならのブルース」も、後に「マンガの学校」に改題・再編集され、「豆本」シリーズとして再刊)
売れなかったとはいえ学生には不相応な額の印税が転がりこみ、その使途をめぐって夏までモメるなど、その後もごたごたを抱えこむ元になったこの本だが、「これがきっかけで(大なり小なり)人生が変わっちゃった」人が、当時の漫研部員の中に多数いることもまた確か。もちろんぼくもその一人だ。もしかしたら、いちばんやってることが当時と変わってないかもしれない。