ぼくにとって、今のところ唯一の入院体験であり本格的手術体験でもあるのが、この虫垂炎騒動である。
発病した際、本人はまさか「盲腸」とは思いもよらず、おかげで危うく命を落とすところだった(らしい)。
盲腸といえば「右わき腹に激痛」と聞いていたのに、実際には、痛いには痛いが我慢できる程度の、腹全体のどんよりした痛みしか感じなかった……のが最大の理由だ。
細かくいきさつをいうと、ある夏の日の夕方、「詩とメルヘン」のバイト終了後に「ビールでも飲もうか」と誘われ、しかし「ちょっと腹が痛いので」と断った。
いまから思えば、この時点ですでに発症していたことになる。
五反田駅前でひとりで中華丼を食べて帰り(たぶん、こういう状況下ではあまり体によくない)、胃薬を飲んで(効果があるはずがない)、その番はただただ我慢して過ごしたが、時間がたつにしたがって、痛みは少しずつ増していった。
夜中、トイレできばってみたりもしたのだが(たぶん、あまり体によくない)、何も出なかった。
そこで翌朝、近くの大き目の病院に行ってみた。大きいといっても「新井薬師駅北側周辺ローカルの話としては」であって、客観的には「なんだかみすぼらしくて、あまり流行ってなさそうなサエない病院」だった。名前は覚えていない。今はもうすでに病院自体が消滅しているようだ。
とにかく、そういう病院の玄関口までいってみた。ところがまだ診療開始まで1時間あるという。
しかたがないので1時間ほど新井薬師駅周辺をうろうろして時間をつぶし(どう考えても体によくない)、9時だか10時だかを過ぎたところでやっと内科で診てもらった。
この間、少なく見積もっても発症以来16時間が経過していたことになる。
ようやく診察。
「腹が痛いんです」
「どれどれ」
……と、内科のお医者さんがぼくの腹をあちこち押してみる。
とたんに「激痛」が走った。
っこでようやく、痛みの芯は右わき腹にあることを自覚。
「そうか、腹をあちこち押してみりゃよかったのか」
と、いまさら学んでみても後の祭。まぎれもない「虫垂炎」だと数秒で判明し、さっそく手術ということにあいなった。
さてしかし、麻酔がきいてきて、いざ開腹が開始された直後、担当の外科の女医さんはこう言った。
「うわー、これはひどいな! 水びたし!」
……これには身の毛がよだった。死に至ることも多い「腹膜炎併発」の寸前、という状況だったらしい。
一気に手術室内が緊迫する。その緊迫ぶりにショックを受けて貧血気味になったらしく、看護婦が「血圧が下がってます!」みたいなことをまた緊張した声で言う。ますますおびえて気が遠くなる……。
あとは「全身麻酔」ということになり、手術中の様子の記憶はないが、船橋から駆けつけてきた母が、あとでこんなことを言っていた。
「すっぱだかでシーツにくるまってベッドの上にころがっていたのを見て、涙が出るほど情けなかった」
よほど「みじめ」な格好だったらしい。
手術後の処置も大変で、多量の腹水を抜くため傷口の一部が縫わずに残され、そこにチューブ(ドレーンと呼ばれる)を挿した状態が1週間続いた。腹に巻いたガーゼがじゅくじゅく濡れる。チューブから腹水が出てくるのだ。
チューブを抜くまで数日間は寝たきりで、おしっこも「シビン」である。
また、この「水抜き口」の傷は、チューブを抜いたらふさぐのかと思っていたらそうではなく、そのまま縫わずに自然癒着を待つこととなった。
おかげで腹筋がゆるんでしまい、腹がぷっくり出た体型となって現在に至っている。