1977(S52)

 大学5年生。
 母の紹介で、サンリオ「詩とメルヘン」編集助手のアルバイトで読者欄の編集などを担当。
 あまり覚えていないがたぶんそれと平行して、フリーの漫画編集者のアシスタントとしてみなもと太郎、石森章太郎(月刊マンガ少年)、松森正(少年画報社のマンガ雑誌。誌名失念)などの原稿取りのアルバイトをやったり、先輩の漫画家のアシスタントなどをやっていたのもこのころだったかと思う。
 留年はしたものの、残している科目は体育、英語、そして卒論だけなので超ヒマな一年。じっくり将来を見据えて画業や原稿書きに励む……つもりだったのだが、7月に虫垂炎で3週間入院(非常に危なかった!)するはめになってしまった。
 9月、病み上がりの体をひきずって遠野(ちょうど祭りの時期)、三陸方面をいきあたりばったり旅行。
 漫画サンデーなどに持っていた小さなレギュラー仕事がこの盲腸騒ぎで切れてしまい、もはや時間切れ、卒業までに「フリー」で食えるメドをつけたいという目算は完全に外れ、秋から就職活動を開始した。
 が、10月(だったかな?)、とりあえず新聞の求人欄を見て出してみたみのり書房(株)の編集者募集(経験者が前提)にいきなり受かってしまい、翌日から学校に籍を置いたまま入社することとなる。
 漫画サンデーのバイト経験などを履歴書に書き連ねたのが図に当たって、「即戦力」とみてもらえたのだ。
 しかし出勤初日、編集長に誘われて喫茶店に行き、そこでマジな顔でいきなりこう言われた。
「ここには長居しないほうがいいよ」
 いろいろごたごたが絶えない会社だったのである。
 そんなわけで、入社後も平凡社の試験を受けたりしたが、残念ながらこれは面接で落ちた。
 じつは学研中一コースの連載だけはこの年度いっぱい続けており、終わったところで月刊OUT 1978年4月号から同じ「ヤナケン」のキャラクターを使った連載(月刊アウトコース)を始める。