1981(S56) デザインより著述の仕事が増えたのと「住人がいたのでは使いづらい」とのメンバーの声に押され、船橋市の自宅(親許)からスタジオ806に通う形に移行。 仕事で深夜までかかる場合は高田馬場駅前にできたばかりの「大正セントラルホテル」(現・サンルート高田馬場)に泊まったりしていたが、いま考えてみればずいぶん不経済な生活だったなあなどと思う。 前の記事 次の記事