「オホーツクに消ゆ」に引き続いて堀井氏から声がかかり、87年にシナリオ・アシスタントとして参加(発売は翌年)。主に戦闘シーンのメッセージ、店の店員のセリフ等、メッセージ関係を担当。数回の打合せのほかは自宅での作業だった「オホーツク」とはうって変わって、頻繁に会議に出席するやら京王プラザホテルに缶詰になるやら、「お手伝い」的な感覚でやるには拘束時間が長い仕事だった。
「ドラクエ」シリーズは次の「ドラゴンクエストIV」にも参加、戦闘シーンや店関係のメッセージ、滑るダンジョンのデザインなどを担当したが、IVからは公募で専任スタッフが数人加わるようになって、ほかに本業を持ち、ゲーム業界にどっぷり身を投じようとかいう意識のない人間が片手間でやれる仕事ではなくなりはじめ、実際途中で抜けて同じ堀井氏作「いただきストリート」(アスキー)の方に加わることとなる。
このへんの経緯から生じた手違いで、「ドラクエIV」のスタッフ名クレジットからぼくの名は落ちてしまい、その埋め合わせで「ドラクエV」のスタッフとしてクレジットされた。実際には「ドラクエV」以降には関わってないが、「ちいさなメダル」「ルイーダの酒場」など、当初ぼくが適当につけた固有名詞が今の同シリーズにもそのまま残っていたりするのには面映ゆいものを感じたりしている。
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