1976(S51)

 実業之日本社「週刊漫画サンデー」アルバイトマネージャ兼カット描きを開始。
日本文芸社「いじわる特許許可局」(共著・うさぎやトライアングル)。
 卒論の題材(ジャワの影絵芝居)の研究のためインドネシア貧乏旅行。
 ジャカルタ、ジョクジャカルタ、バリ。ついでにシンガポール、バンコク、香港も回るが、3週間におよぶめくるめく初海外旅行体験のカルチャーショックもあり、そう簡単には卒論にまとめきれないことを痛感。「フリー」を目指して1年間モラトリアム期間を設けたい、という希望もあって、留年を決める。