1967(S42)

安野屋小学校を卒業、富山県立富山中部高校(富山市随一の進学校)をはさんで隣接していた富山市立芝園中学校(通称・芝中)に入学。ノーベル賞の田中耕一さんの母校だが、5歳も年下なので面識はない。


このころから本格的(?)にマンガを描き始める。近所の文房具屋で「ケント紙ください」と言って、「はぁ? 見当紙? グラフ用紙のこと?」とか言われてがっかり……など、用具の調達からして苦労したような時期だった。
「中学1年コース」にハガキで投稿した1コマ漫画が初めて掲載される。
選者はつのだじろうサンで、「アイデアはいいけど絵がヘタだ」とのことで(^^;、わざわざ描きなおしたものが隣に添えらる、という情けない載り方。
実際絵はうまくはなかったわけだけれど、面白く表現する、という意味では自分の作品のほうが勝っていたんじゃないかと今も思っていたりする。
学校では軟式テニス部に入るが、素振りばっかりやらされ、手の皮がむけた以外の収獲は特になかった。

※芝園中学校は、平成18年度から建替えのため旧・安野屋小学校の後者に入居した後、平成20年、もとの敷地の新築校舎に戻り、あわせて同じ敷地内に「芝園小学校」が入居するかたちになったそうです。