1990/04 人名用漢字の「抜本的改定案」

ごろ法務省の諮問機関・民事行政審議会は、人名に使える漢字として、従来の「常用漢字1945字+人名漢字166字」に新たに118字を加え、計2229字にすべしという答申を出した。法務省はさっそく戸籍法の施行規則を改正し、4月1日から新しい人名用漢字による出生届を受け付ける方針という。

 日蓮の「」、松尾芭蕉の「」、夏目漱石の「」、石川啄木の「」、萩原朔太郎の「」、緒方拳の「」、京唄子の「」、谷村新司の♪さらば「」(すばる)。
 など、文化・芸能人の名前でおなじみの文字も使えるようになる。夏目漱石の子孫の「漱岩」や石川啄木のファンの息子の「石川啄本」なんて子供が登場するかもしれない。ちなみに、トヨタの社員の息子の「昴」ちゃんは、避けたほうが無難でしょう。

 ......などという大きなお世話はともかく、じつは某日、この民事行政審の答申に不満を感じている知識人グループが、独自に「日本人の名前に関する制度改革研究会」を発足させたというので出席してみた。

 当日、研究会の推進役が提示した議題はそのものずばり「日本人の命名規則抜本的改革草案について」。
 手渡された資料にはたった4行、次のような、簡単明瞭で、しかしとても抜本的かもしれない改革草案が印刷されていた。

《日本人の命名規則抜本的改革草案》
一、個人の命名規則は、企業の商号名登記規則に準じるものとする。
以上

 ......株式会社、有限会社など、企業の「商号」についての規則をそのまま個人名にも適用したらどうか、というのである。当の推進役の主張を中心に、会議録の一部を引用してみよう。
    *   *

「『法人』と呼ぶとおり、企業は社会的には『人』の一種です。税金も納めてますしね。ところが企業と個人の命名規則はかなり違う。商号には人名漢字のような制限がありません。『病院以外の企業は病院を名のれない』などの制限はあるが、どんなむずかしい漢字を使ってもよいことになっている。ところが個人名は制限つき。これは明らかな差別です。企業優先で個人をないがしろにする、日本の社会の体質そのままじゃありませんか」

「質問。たしか企業の商号には、同一市町村内では同じ商号は登記できない、という制限がありますね。個人でそれと同じことをするのは、いくら漢字の種類を増やしても無理なのでは? 同姓同名は避けられないでしょう」

「じつはそこがミソなんです。現在の東京への一極集中はあまりにも異常だ。"同姓同名の人物がいる市町村に住んではならない"という企業なみルールを作れば、『名前を変えるくらいなら故郷(くに)に帰ったほうがいい』と考える人が続出し、地方へのUターン現象に拍車がかかることうけあいです」

「女性はどうするんですか? 結婚して改姓しようとしたら同姓同名の人がいた、なんて場合は......」

「銀行の合併みたいに、新婚カップルは新しい姓を作って名のればいい。企業同様、必要なら自由に改姓/改名してイメージアップをはかれる。これもこの案の大きなポイントです。知ってますか? 最近の女の子の赤ちゃんの名前ベスト3は美穂。『愛ばーさん』なんて、想像するだにキショク悪い。年寄りには年寄りにふさわしい名前っていうものがあります。適当な時期がきたら自分の意志で改名できる。そうした権利を、われわれ国民はもっと主張なんです!」

 妙に興奮している推進役氏の顔を見ながら、現代人は一生「幼名」のままで過ごすから子供っぽいのかなあ、などと、ふと思った筆者なのであった。

(c)YanaKen 1990 as バニー柳沢 オリジナル掲載誌:集英社「月刊PLAYBOY」1990/4
PLAYBOY FRONT LINE:「今月は先月の来月」......PB版試案「人名に使える漢字規制についての抜本的改革」


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・このコラムの題材とした1990年(平成2年)の改訂の後、人名用漢字は2度(1997年と2004年)改訂され、特に2004年の改訂では488字が一挙に追加されて983字まで増加。常用漢字1945字(こちらは変わらない)との合計では2,928字(および「ひらがな」「カタカナ」「々ゝゞー」)が使用可能となっています。
・後半に出てくる「女の赤ちゃんの名前ベスト3」は、1989年版の「生まれ年別の名前調査」(明治生命=現在は明治安田生命)に基づいています。この調査は現在も毎年続いていて、同社ホームページで1912年以降の「ベスト10」の変遷を一望できます。
明治安田生命オフィシャルサイトで「生まれ年別の名前調査」を検索