1990/03 ペーパーレスな男

壇の大御所として知られるE氏がその男の訪問を受けたのは、平成元年12月中旬のある日曜日のこと。
「突然おジャマして申し訳ありません。私、ライフワークにしています環境問題研究の一環として、さまざまな職業の方がどのように"紙"と関わっているかを調査している者です。今日はぜひ先生の書斎での紙の使われ方をお聞きしたいと思って参上しました。アンケートにお答え願いたいのですが。あ、申し遅れました。私はですね......」
 男は背広のうちポケットからおもむろに電子手帳を取り出し、「ピッピッピッ」......慣れた手つきでひとしきり操作して、「こういう者です」と、その電子手帳の液晶画面をE氏に示しながら手渡した。

環境問題評論家
  杜林 杜男
    TEL.(03)XXX-XXXX

「はあ、そうですか......」
 E氏が面食らいながら電子手帳を返そうとすると、
「いえ、この電子手帳はそのままお持ちください」
「そんな、見ず知らずの人から、こんなモノを受け取るわけには」
「いえ、ですからこれは、私の名刺ですので......で、さっそくですが、先生は、日々のスケジュールの管理などはどうされていますか?」
「出版社がくれる手帳を使っとるが」
「手帳! それはもったいない......いや、いまどき珍しい。住所録は? まさか、毎年新しい手帳に書き写しているとか」
「なにがまさかか知らんがそのとおりだ」
「ふーむ。システム手帳さえお使いでない......あ、ちょっとお待ちを。メモしますので」

 言いながら、ショルダーバッグから小型の日本語ワープロを取り出し、
「えーと、作家のE先生。電子手帳なし、と」
 玄関に立ったまま、左手でワープロの底面を支え、右手だけで器用にキーボードを叩いてゆく。

「あ、それから、ワープロはどんな機種をお使いで?」
「どんな機種って、使っとらんよ」
「使っていない! じゃ、原稿はすべて手書き? 一日に消費する原稿用紙の枚数は? サイズは? 書き損じはどのくらい出ますか?」

 矢継ぎばやに繰り出される質問に、行きがかり上逐一答えながら、E氏は次第に、この人物の訪問の趣旨を疑いはじめた。
「要するに、この電子手帳をおまけにつけるから私にワープロを買えということかね? 作家は紙を浪費する商売だから、少しは文明の利器を使って節約を考えろと?」

「いえ、めっそうもない。これはあくまでも私の個人的な調査です。
ろん私としては、日本の紙資源消費が東南アジアの森林破壊を招いている現実に、多くの人間が関心を持ってほしいという気持ちはあります。ワープロをうまく使えば紙の消費量をおさえられるというのも事実です。
 しかしその反面、ワープロやパソコンは、使い方しだいでむしろ紙の消費量が増えてしまう場合もあるのです。事実、OA化が中途半端に進んだオフィスのプリンターやコピー機で大量生産される書類の山は、東京のゴミ処理機能を圧迫しはじめています」

「紙ゴミの処理の問題では、私も困っているよ。このごろチリ紙交換車が来てくれないのでね」
「ですから、これは私自身の問題なのです。紙資源の節約を訴える以上、これからはけっして紙をむだにすまいと、3カ月前に決心したのです。電子手帳を差し上げたのも、名刺に紙を使うのはもったいないという私の個人的なポリシーにもとづくものです」

 ひとしきり演説をぶったあと、男は、
「じつは先生の大ファンでして、記念に1枚お願いします」
 と、E氏の写真をカメラに撮った。

「私の顔なんぞ撮っても、それこそ印画紙とフィルムのむだじゃないかね」
 とE氏が問いただすと、
「これはフロッピーカメラといって、テレビに画像を映すカメラなのです」
 と、男は説明したのだった。
     ×    ×
 年明けて平成2年元旦。E氏のもとに先日のアンケート男......杜林杜男からずっしり重い"年賀状"が届いた。
 その"年賀状"は中古のワープロだった。電源を入れると、
「明けましておめでとうございます。先日は突然お邪魔して申し訳ありませんでした」
 という文面が、そのワープロの編集画面にあらわれた。

(c)YanaKen 1990 as バニー柳沢 オリジナル掲載誌:集英社「月刊PLAYBOY」1990/3
PLAYBOY FRONT LINE:「今月は先月の来月」......"紙"を節約するなら、ここまでやらなきゃ、の巻
※一部修正 2005/1


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 いまでは表舞台から姿を消した言葉やアイテムが続出する話になっちゃいました。
 とくに「フロッピーカメラ」は、当時もそんなにヒットしなかったし、今となっては完璧に死語ですね。
 じつはウチの物置部屋には当時買ったキヤノンの「Q-PIC」(2インチフロッピーにビデオ信号を記録するタイプのフロッピーカメラ)がまだ眠ってます。あのころこのカメラで撮った写真、そのうち機会をみてキャプチャーして残したいとか思いつつ結局ほったらかしですが、そうこうしてるうちにもう15年もたっちゃったんですねえ。ううむ。
 ちなみに一般消費者向けの「デジタルカメラ(デジカメ)」が登場したのは1995年3月、カシオの「QV-10」からでした。
 死語とはいえないまでも、 「日本語ワープロ」も表舞台からは消えてしまいました。
 この原稿が雑誌に載った1990年1月の時点でも、すでに前年の6月に出た東芝の初代DynaBook(2.7kg)がヒット商品となっていますが、とはいえ「持ち歩ける文書作成機」といえばポータブル型日本語ワープロのほうがメジャーな選択肢だったことが話の背景にあります。
 ぼくは当時、そのDynaBookの白モデルと、1987年ごろに買った「プリンタがはずせるポータブル・ワープロ」SONY PRODUCE100をときたま持ち歩いていましたが、まあ、どちらも正直「とても重かった」です。